片隅のユートピア

野鳥を愛するシングルシニアの雑記帳

「ノマドランド」を観る

AmazonのPrime Videoで「ノマドランド」を観た。車上生活をしながら仕事を求めて全米を移動する高齢者たちを描いた作品だ。かれらは現代のアメリカを放浪するノマド遊牧民)にほかならない。

夫を亡くして家を失った60代のファーンもその一人。彼女は最低限の生活道具を積み込んだマイカーで放浪の旅にでる。

仕事はアマゾンの倉庫作業やビーツ(砂糖大根)の収穫など単純な肉体労働だ。そうした労働現場やキャンプ場でさまざまなノマドたちと出会い、絆を深めていく。

車窓を流れる自然の景観が美しい。ピアノの旋律が胸にしみる。主演女優のフランシス・マクドーマンドが圧倒的な存在感を見せる。

この映画で特筆すべきは、ノマドとして実際に車上生活を送っている人々が出演していることだ。かれらの実体験に裏打ちされたセリフが加わることで、「ノマドランド」はドキュメンタリーとフィクションが融合した重層的な作品となっている。

映画が終わると、どこか落ち着かない気分でエンドロールを眺めていた。希望と絶望、孤独と連帯、自由と貧困、喪失と再生――相反する要素が頭の中で交錯し、濁った飛沫を上げている。

リタイアして悠々自適の生活を送っているはずの高齢者が金融危機で家を失う。車上生活を余儀なくされ、低賃金の単純な肉体労働に従事せざるを得ない。ここで問われているのは、アメリカの高齢者が抱える経済格差や貧困などの社会問題だ。

車上生活者=人生の落伍者と見なされかねない。かつての教え子に今はホームレスなのかと問われたファーンが、ホームレスではなくハウスレスだと答えるシーンが印象に残った。

その一方で、ノマドとして放浪する生活に積極的に価値を見いだそうとする高齢者がいる。自尊心を保つためには、ノマドとしての生き方を自ら選んだと考えることが必要なのだろう。

車上生活への転換は必然的に断捨離を促し、ミニマリストのライフスタイルに行き着くことになる。そこから、より少ないモノでより豊かに生きるという発想が生まれる。同じ境遇にある仲間たちとの連帯感も芽生えてくる。自分たちは同じ「トライブ」なのだと。

二十代の頃、自分もバックパッカーとして海外を放浪したことがある。未知なる出会いを求めて旅を続ける日常はエキサイティングだ。自由と冒険に夢を託そうとするノマドたちの心情は理解できる気がした。

映画では詳しく触れられていないノマドたちの現実をもっと知りたくなった。原作のノンフィクション『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』を図書館から借りる。その本の冒頭には、レナード・コーエンの次の言葉が書かれていた。

「どんなものにも隙間はある。そこから光が差してくる」

映画「ノマドランド」を形容するのにぴったりなフレーズだと思った。

原作を読んでから映画を観たほうが楽しめるかも