片隅のユートピア

野鳥を愛するシングルシニアの雑記帳

ギルドの晩餐会

確定申告を済ますと春が来る。20年以上続いた春を迎える儀式は、今年から取りやめになった。昨年の収入は年金のみで確定申告が不要になったのだ。

去年の春に廃業届を税務署に出していた。四半世紀にわたる翻訳者人生に幕を下ろしたことになる。意外なことに何の感慨も湧いてこなかった。翻訳の仕事からすでに心が離れていたのだろう。

翻訳は30代後半になってから始めた。分野は情報技術(IT)。コンピュータ関連のマニュアルが多かった。ITに特別関心があったわけではない。仕事量が多く、専門性も高くないから未経験者でも参入しやすい。それがITを選んだ理由だった。

思惑どおり仕事はたくさんあった。その一方で、業務形態は自分が描いた翻訳のイメージとはかけ離れていた。派遣された外資系企業では翻訳支援ソフトが使用され、過去に翻訳された文章が翻訳メモリとして蓄積されていた。

その翻訳メモリを複数の翻訳者が共有し、共同で作業を進めていく。皆、PC画面に向かって黙々とキーを叩いていた。何だか養鶏場のニワトリになったような気がした。

その後、沖縄移住を機に在宅翻訳者となり、ITのマーケティング分野に翻訳の軸足を移した。無味乾燥なマニュアル翻訳と比べるとやりがいを感じた。情報の正確さと読みやすさに重点をおいた「言葉の職人」を目指そうと思った。

しかし、IT翻訳に情熱を注ぐことはできなかった。生活に必要な糧を得るための手段。所詮はライスワーク。そんな意識がいつしか脳内に浸透していった。

最後の仕事から2年経ち、翻訳とはきれいさっぱり縁が切れてしまった。今では英語に触れたいとも思わない。翻訳の本はすべて処分した。

それでも、知り合った翻訳者たちのことは懐かしく思い出す。カナル会――それが翻訳者仲間が集う飲み会の名前だった。最初に飲んだ店は東京・飯田橋CANAL CAFEだった。

メンバーは女2人に男2人。全員が独身でほぼ同世代。女1人と男1人(自分)はバツイチだった。もう若くはないけれど、人生にまだ希望が持てる年代だった。

飲み会では仕事のよもやま話(情報交換)に花が咲いた。翻訳会社への不満も話題になった。吐いた愚痴が打てば響くように返ってくる。愚痴り甲斐があるのは同業者ならではだった。

沖縄へ移住するとき、打てば響くように愚痴を言い合える仲間を失うことを残念に思った。一人暮らしの在宅翻訳者に話し相手はいない。コロナ禍のとき、自宅で仕事をしろとか人との接触を8割減らせとかいろいろ言われたけれど、自分の生活に目を向けるとその多くはすでに実践済みだった。

沖縄移住後も上京したときにカナル会のメンバーで何度か飲んだ。酒の席では仕事が主な話題だったが、メンバーの一人一人が問題を抱えていることも知っていた。

4人が集まって新宿の居酒屋で飲んだことがある。早めに店の前に行くと、参加メンバーの男性が酔って路上に座り込んでいた。

彼はアルコール依存症だった。どこかで軽く飲んでから来るつもりが制御できなくなり、酔い潰れてしまったらしい。そのあと、店に入ってメンバー4人で飲んだ。彼はほとんどしゃべらなかった。会話に参加できる状態ではなかったのだろう。

それが、カナル会のメンバー全員が参加した最後の飲み会となった。10年ほど前のことだ。

この先、4人で会うことはもうないだろう。そう思うと、文章に書き残しておきたくなった。メンバー4人の撮られずに終わった記念写真の代わりになるように・・・

春の到来を告げる早咲きの桜「イズノオドリコ」