この秋、65歳になった。48歳のときに移住した沖縄で16年暮らし、去年移り住んだ指宿での暮らしも1年が過ぎようとしている。思えば遠くへ来たもんだとしみじみ思う。
誕生日の翌日、指宿市の健康診査を受けた。結果は意外だった。コレステロールやHbA1cの値が良くなっている。寒い内地に戻ってカロリー摂取量は増えていた。数値は悪化していると思い込んでいたのだ。
有り難いことに、当地での病院デビューもまだせずに済んでいる。とはいえ、年相応の老化現象はテンコ盛りだ。歯にものが詰まりやすくなったとか、目が悪くなったとか、夜中にトイレに起きるようになったとか。それでも、まずまず健康と言えるのかもしれない。
持たざる者にとって健康はかけがいのない財産だ。健康であれば歳をとっても独りで生きていける。好きなことに打ち込むこともできる。
対象は違っても、人にはそれぞれ好きなことがある。子供の頃は単純にそう思っていた。成長するにつれて、必ずしもそうではないことに気がついた。好きなこと=情熱を注ぐ対象は天からの贈り物。万人に与えられているわけではないらしい。
持たざる者の最後の拠り所は好きなことを持っていること。この歳になってそれを実感するようになった。好きなことに熱中しているとき、人はシアワセを感じる。時間が経つのを忘れて、独居老人であることも忘れる。
9年前に沖縄で野鳥写真を始めたとき、こんなにハマるとは思っていなかった。当初はカヤックフィッシングと野鳥写真を趣味の2本柱にしようと考えた。それが野鳥写真の魅力にどっぷり浸かり、カヤックフィッシングは意識の片隅に追いやられていった。
野鳥写真とカヤックフィッシングに共通するのは自然が相手であること。自然と向きあう趣味は飽きることがない。毎日が冒険なのだ。
同じフィールドに毎日通っても、野鳥の種類や出現場所、光線の状態は日によって異なり、撮れる写真はガラリと変わる。昨日はたくさん野鳥が飛び交っていたのに、今日は閑古鳥が鳴いているなんてことも・・・
自然環境という点では、沖縄のやんばるの森は群を抜いていた。ヤンバルクイナやノグチゲラといった千両役者の存在が野鳥撮影熱に拍車をかけたのは間違いない。
とはいえ、ここ指宿でも野鳥撮影は楽しめる。山もあれば海もある。湖だってある。市街地の草ボーボーの空き地を手つかずのフロンティアに変えることもできる。それが野鳥写真の面白いところ。
石ころを宝石に変えるのが写真の醍醐味と語った写真家がいたけれど、同じことを野鳥写真にも感じている。どこにでもいるありきたりな鳥の美しさに光を当てて、その一瞬の輝きをとらえたい。
前期高齢者に仲間入りして、命のロウソクはだいぶ短くなった。それでも、炎はまだチロチロと燃えている。
上4枚、ハクセキレイ