今週、学生時代の友人と10年ぶりに再会した。車で駅へ迎えにいき、地元の名所をあちこち案内した。ここでもiPhoneのカーナビが大活躍。時間が限られるなか、効率よく目的の場所をまわることができた。
問題は夜だった。夕食では酒を飲みたい。が、飲めば運転はできない。そこで、友人が泊まるホテルの駐車場に車を置いて近くの店まで歩くことにした。
夕食が済むと、友人はホテルまで歩いて帰り、こちらは電車で帰宅する。最寄り駅から自宅まで海沿いの暗い道を歩く。見上げると星がきれいに瞬いていた。
翌朝、車を停めたホテルへ向かう。バス停のほうが近いため、電車ではなくバスで行くことにした。
しかし、待てど暮らせどバスは来ない。すでに30分ちかく待っていた。同じ停留所にいた人がバス会社に電話し、あと10分ほどかかるらしいと教えてくれた。
久しぶりに酒を飲んだせいか、微妙にユルい腹具合だった。さらに10分はチト長い。そう思った途端に歩きだしていた。
バス停の近くに農協の店があり、すでに営業していた。店内にトイレがあることも知っていた。温水洗浄便座が付いた、きれいで居心地のよいトイレが。
用を足して外にでると、停留所に人影はなかった。一瞬ですべてを悟った。ウンコしている間にバスはぬけぬけとやって来て走り去ったのだ。
やらかしてしまった。あまりに出来過ぎた話だとひとごとのように思った。小さな子供のようにワーンと大声で泣きたい気分だった。
Googleマップで調べると、バス停から友人が泊まるホテルまで5.2km。歩けば1時間はかかるだろう。それでも、次のバスを待つよりは早い。
ホテルを目指して歩いていると、市内循環のコミュニティバスがあることを思い出した。月水金の運行で今日はその金曜日。バス停も近くにあるはずだった。
雲の裂け目から一瞬、光が差し込んできたように思った。10分ほど歩くと、それらしきバス停が見えてきた。
時刻表を確認する。1日3便しかない。その第1便が7分前だった。バスだから遅れて来るのかも。そう思ってしばらく待ってみたけれど無駄だった。
空は厚い雲でふたたび覆われてしまった。近くの線路を電車が通り過ぎていく。そのすこし先が駅だった。さっきのバス停で待っていなければあの電車に乗れたかもしれない。
馬鹿畜生。呪詛の言葉が口をつく。足どり重く歩いていると、雨がぱらぱら降ってきた。こういうのを泣きっ面に蜂と言うのだろう。
とことん運のない日だと思った。そう考えると車を運転するのが怖くなった。事故で締めくくる1日にだけはしたくない。
友人が泊まるホテルが傘越しに見えてきた。その白い建物に向けて足を速めながら、注意一秒、怪我一生と念仏のように唱えていた。