ロシアがウクライナに侵攻し、世界中がインフレに見舞われた2022年。まさに激動の1年だった。一方、自分にとっては鍋が吹きこぼれた年だった。脳内で温めていた想いが時間とともに煮詰まり、具体的な行動となって現れたのだ。
最初の一歩は仕事をやめたことだった。仕事といってもフリーの在宅ワーカーなので、長年勤めた会社を定年退職するような華々しいものではない。ひっそりとフェードアウトした感じだった。
仕事をやめた翌月に年金の繰り上げ受給を申請した。ただでさえ少ない年金がさらに減額される。経済的には苦しいのだが、お金よりも人生の残り時間を優先したいと思った。
16年前に沖縄へ移住したのは、セミリタイア生活を実現するためだった。仕事漬けの毎日を送っていたわけではない。それでも仕事(ライスワーク)をやめてライフワーク(写真)へ全面移行できる喜びは大きかった。
ライフワークの野鳥写真に全力投入する日々が始まった。あり余る時間のなかでは好きなことも色褪せていくのでは? 最初はそんな不安もあった。
杞憂だった。同じフィールドに毎日通っても撮れる写真はガラリと変わる。野鳥の種類や出現場所、光線の状態は日々異なるからだ。自然と向きあう趣味は飽きることがない。
その一方で、毎月の家賃が重くのしかかっていた。家賃だけで毎月の年金はあらかた消えてしまう。そこで中古一戸建ての購入を考えた。賃貸アパートの生活音からも解放されるだろう。
できれば沖縄に住み続けたかった。スギ花粉症がなく、冬でもほとんど暖房要らずの沖縄は快適だ。なによりも亜熱帯の自然がすばらしい。
しかし、自分の手が届く物件を沖縄で見つけることはできなかった。物件探しのエリアは九州へと拡大した。Googleマップを駆使して移住候補地を絞っていく。
最終的に選んだのは鹿児島県だった。2回の視察旅行を経て、条件を満たす物件と巡り合うことができた。2022年11月のことだ。
年の瀬は慌ただしいというけれど、昨年の12月は引っ越しに忙殺される日々だった。荷物をすべて送り出し、空っぽになったアパートの部屋に寝袋を敷いて寝る。翌朝、車と一緒にフェリーで鹿児島へ向かった。
錦江湾を行くフェリーのデッキから眺めた開聞岳は美しかった。沖縄から移住してきた自分を歓迎してくれているような気がした。
鹿児島へ移り住んで3カ月が過ぎた。築50年の新居はすき間だらけ。ただでさえ沖縄と比べると寒いのに、すき間風でよけいに寒く感じた。ほかにも突っ込みどころ満載で、快適に住めるようになるまで時間がかかりそうだ。
それでも野鳥撮影は楽しめる。錦江湾が近いので、長らく中断していたカヤックフィッシングも再開できるだろう。
好きなことがあってそれを実践できる場所がある。そこが自分のユートピア。そう思うとシアワセになれそうな気がした。