チャンスは予期しないときに訪れる。過去の体験から学んだ鳥撮りの法則だ。「予期しないとき」は、期待するのをヤメたときと言い換えることもできる。
この春に出会ったコマドリがそうだった。越冬しているコマドリを見つけようと意気込んだものの、結果はすべて空振り。コマドリは手強い。もう無理だろうと諦めていた。4月の晴れた朝、道路脇の茂みで鳴く声を聞くまでは。
コマドリは出会うのに苦労したが、撮影はそうでもなかった。撮影が難しいのはアカショウビンだ。鳴き声を聞いたり、運が良ければ飛び去る姿をチラ見することはできる。でも、そこから先に進めない。警戒心が強いので人に気づくとすぐに飛び去ってしまう。
鹿児島で3回目となる夏鳥シーズンを迎えた。今年はアカショウビンの鳴き声をこれまでより多く聞いた。それでも、撮影は無理だろうと諦めていた。姿は拝めなくても鳴き声は聞ける。眼福はなくても耳福があるじゃないか。そう自分に言い聞かせていた。
その日訪れたフィールドもアカショウビンの鳴き声を聞いた場所だった。すでに9時をまわっていた。今日は鳴き声を聞けないだろう。そう思いながら歩いていると、前方の木から赤い鳥が飛び立ち、すこし離れた枝にとまった。餌をくわえたアカショウビンだった。
逃げるなよ~と念じながらシャッターを切る。アカショウビンはすぐに飛び去った。撮影した画像を確認する。ピンは来ていた。安堵の息が漏れる。腹の底から喜びが込み上げてきた。
ほかの場所で1時間ほど探鳥し、アカショウビンを撮影したポイントに戻る。驚いたことに、アカショウビンが高い木の枝にとまっていた。撮影を始めると、ほかの場所へ移動する。いる場所はわかるので、そっと近づいてまた撮る。するとまたほかの場所へ。そんなことを何度か繰り返した。

遠くへ逃げないのが不思議だった。アカショウビンはカエルやトカゲなどの餌をくわえていた。近くに巣があるのかもしれない。
別のアカショウビンが近くの木にいるのに気がついた。その個体がメスで餌をくわえているのがオスらしい。

人の存在に気づいてもアカショウビンが遠くへ飛ぼうとしない理由がほの見えてきた。頭に浮かんだのは求愛給餌。オスのアカショウビンはメスの気を引くのに夢中で人間の存在は意識の隅に追いやられている。
2羽のアカショウビンはすでにカップルで、近くの木で営巣している可能性もある。その場所を離れて遠くから観察してみた。オスのアカショウビンは餌をくわえたまま、電線の同じ場所に留まっている。やはり、メスに求愛中なのかもしれない。

アカショウビンは頭上の高い位置にいる。見上げる姿勢を長くとったせいか、首と腰が痛くなってきた。写真もそこそこ撮れたので、昼過ぎには切り上げることに。
その翌日と翌々日もアカショウビンに会いに行った。アカショウビンには会えたけれど、日を追うごとに見られる時間は減り、距離も遠くなっていった。

3日ぶりに現地を再訪したら、アカショウビンは姿を消していた。その後も何度か訪れてみたが、鳴き声を聞くことはあっても姿を見ることはなかった。いつもの警戒心が強いアカショウビンに戻っていた。
思い返すと夢のような3日間だった。憧れの鳥だったアカショウビンを存分に見ることができた。ふだんの鳴き声とは違う、甘くせつない求愛の鳴き声も聞けた。
願いは叶えられる。それも鳥撮りにハマる理由かもしれない。この鳥に会いたいという願いはいつか実現する。人生の夢はなかなか叶わないけれど・・・
寄ってよし引いてよしのアカショウビン。この3日間で今年の鳥運を使い尽くした気がする











