片隅のユートピア

野鳥を愛するシングルシニアの雑記帳

「PERFECT DAYS」を観る

Amazonプライムでの配信を心待ちにしていた映画があった。ヴィム・ヴェンダース監督、役所広司主演のPERFECT DAYSだ。学生時代の友人は映画館で4回観たという。昨年末、その待ち焦がれていた映画が配信された(以下、一部ネタバレあり)。

最初の印象はセリフの少ない映画だということ。役所広司が演じる、トイレ清掃の仕事をする平山の日常が淡々と描かれる。風呂なしアパートの2階で目覚め、朝の身支度を整えて、室内で育てる植木に水をやって仕事にいく。

寡黙な平山に代わって、映像がさまざまな問いを投げかけてくる。風に揺れる木の葉を見て、平山が笑みを浮かべるのはなぜなのか。どうしてあれほど熱心にトイレ掃除に取り組むことができるのか。平山とはいったい何者なのか。

PERFECT DAYSは、観る者のイマジネーションに訴えかける映画だ。筋立てはシンプルでも、平山の表情を追う映像は雄弁だ。観客の内面に語りかけて、心の奥底にある感情に揺さぶりをかけてくる。

タイトルのPERFECT DAYSはどのような日本語になるのか。それも、観客一人一人に委ねられている。

直訳すれば「完璧な日々」。この映画はトイレ掃除のシーンが多い。プロの清掃人として平山がトイレを完璧に掃除する様子が描かれる。

汚い場所という否定的なイメージで捉えられがちな公園のトイレ。責任感を持って誠実に仕事に取り組む平山の姿には、どこか凜とした風情が漂う。

穏やかな平山がめずらしく声を荒げるシーンがある。同僚が辞めて2人分の仕事を押しつけられたときだ。仕事の量が倍になり、自分が求める品質を満たすことができないことに苛立ちを覚えたのかもしれない。

平山の内面に目を向ければ、「満ち足りた日々」と訳すこともできるだろう。カセットで聴く音楽、フィルムで撮る写真、文庫の古本でたしなむ文学。平山の生活は自分が好きなもの、本当に必要とするものだけで構成されている。

一見、質素で貧しく思えるその生活は、彼の美学を体現したものにほかならない。古い風呂なしアパートも、テレビやインターネットとは無縁な暮らしも、彼自身があえて選んだものだ。モノクロのフィルムで木を撮ることにも彼のこだわりを感じる。デジカメで撮ればはるかに安く済むのだから。

平山にとって木は特別な存在だ。彼にとって木を撮るという行為は、木=自然と交流する儀式なのかもしれない。そのためには、フィルムに焼き付けて現像する工程が必要なのだろう。

自然との交流は孤独を癒してくれる。それでも、人との関係を完全に断ち切ることはできない。距離は置いても、平山は人間を拒まない。周囲の者に敬意を払い、遠慮がちに会釈を送る。人と触れあった帰り道、平山は笑顔になる。

映画の後半、予期しない姪の訪問が穏やかな平山の日常を揺るがすことになる。断ち切った過去に対する封印していたさまざまな想いが溢れ出し、人生の哀歓が交錯する圧巻のラストシーンへと繋がっていく。

この作品を見終わった観客は、心の中でこう問いかけるにちがいない。自分にとってのPERFECT DAYSは何だろう? 映画のエンドロールを眺めながら、自分もそれを考えていた。

PERFECT DAYSを自分が訳せば、「足るを知る日々」になるのかもしれない。幸せとは一人一人の心の裡にあるもの。結局のところ、自分が身を置くその場所、そこでの日々の暮らしに幸せを見いだすしかないのだろう。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tokajar_h/20250106/20250106174300.jpgフィルムは高くて買えないので、GR IIのレトロで木を撮る日々