一昨日、iPhoneにショートメールが届いた。沖縄の名護市に住んでいたとき、よく飲みに行ったバーのマスターからだった。
指宿に記録的な大雨が降ったことをニュースで知ったらしい。自宅は大丈夫かとメールしてくれたのだ。気遣いに感謝しつつ、被害はなかったことを伝えた。
沖縄では飲み屋通いの日々を送っていた。移住したのは40代の後半。もう若いとはいえない歳だけど、夜の街に繰り出す元気は残っていた。
フリーランスの在宅ワーカーなので、働けば働くほど引きこもりを余儀なくされた。飲み屋は誰かと会って言葉を交わす貴重な場所だった。
フレンドリーな夫婦が経営する、自宅からほど近い居酒屋が行きつけの店になった。その頃、バーはまだ敷居が高くて入りづらかった。
それでも、気になるバーが何軒かあった。店の前を歩きながら、ここで酒を飲んでいるのはどんな人たちだろうと想像していた。
実際にバーの扉を開けてみると、思いのほか居心地のよい空間だった。酒も思ったほど高くはない。何よりも静かで落ち着ける。
気がつくと、メールをくれたマスターの店に通うようになっていた。マスターとも店の雰囲気とも波長が合ったのだろう。
そこに行けば顔なじみの飲み仲間と会うことも、初めての客と知り合うこともできた。横並びのバーのカウンター席は居心地がよかった。照明を落とした非日常的な空間。そこにウイスキーの酔いが加わることで、初対面の相手でもディープな会話を交わすことができた。
店での関係は拡大し、互いの自宅を訪問したり、バーベキューに呼ばれたりするようになった。常連客でハーリー(沖縄の伝統漁船を使ったレース)のチームを作り、そのメンバーに加えてもらったりもした。
移住者である自分と名護のコミュニティをつなぐパイプ役をそのバーは担ってくれた。このバーのようなささやかな居場所を指宿でも見つけたいと思った。
夜の街に繰り出す元気はもう残っていない。体は酒離れを起こしていた。自分に割り当てられた一生分のアルコールを沖縄で飲み尽くしてしまったらしい。
酒を飲まない自分に居場所を提供してくれる、バーに代わる何か。そんなものを考えていたら、名護に行きつけの喫茶店があったことを思い出した。
食事どきは避けて、午後の人が少ない時間帯にいく。カウンター席でコーヒーを飲みながら店の人と話をした。バーのようにディープな会話はできないけれど、一杯のコーヒーでサクッと話すのもまた楽しい。
Googleマップでホームタウンの喫茶店を検索する。カウンターのある喫茶店は指宿にもいくつかあった。何軒かまわれば波長の合う店が見つかるかもしれない。足繁く通えば常連客とも仲良くなれるかもしれない。
アルコールがカフェインに取って代われば、二日酔いに苦しむこともなくなるだろう。やたら盛り上がったのは覚えていても話の内容は思い出せず、浪費した時間がもったいないと悔やむこともなくなるだろう。
それでも、喫茶店にバーの代わりは務まらない。そんな予感がした。アルコールとカフェインは別物なのだ。
「いちゃりばちょーでー」という沖縄の方言がある。一度会ったら皆兄弟という意味だ。一緒に酒を飲めば初対面の人間同士でも旧知の仲のように打ち解けることができた。
深夜のバーで体験した親密感や高揚感は特別のものだった。それが、アルコールというドラッグの一時的な薬理作用にすぎないとしても・・・
このカウンターで飲む「カリラ」は極上の味がした