小学6年生のときに親がカメラを買ってくれた。今は鳥ばかり撮っているけれど、当時はSL(蒸気機関車)に夢中だった。SLの写真を撮るために自分のカメラが欲しかった。
中学生になると、季節ごとの休みを利用してSLを撮りに行くようになった。旅先には南九州も含まれていた。日南線や志布志線(現在は廃線)を撮影したのは覚えているが、指宿枕崎線については記憶がない。
古いダンボール箱に入ったSLの資料を取り出す。「南九州SL撮影旅行」と書いてある手帳が見つかった。SLを撮影する場所や時間を記載した詳細なスケジュールだ。旅行したのは1972年(昭和47年)の12月。中学2年生のときだった。
それによると、南九州旅行の3日目、12月27日は指宿枕崎線だった。撮影場所の駅は西鹿児島(現在の鹿児島中央)、坂之上、そしてホームタウンの指宿。
半世紀前、自分は指宿に来ていたらしい。嬉しいサプライズだった。中学生の自分はどんな写真を指宿で撮ったのか。好奇心がムクムクと頭をもたげてきた。
SLの写真はフィルムスキャナでデジタル化してあった。デジカメ写真と同様にPCモニターで見ることができる。デジカメと違うのは撮影日時を確認できないこと。
写真を特定するために撮影日「12月27日」のスケジュールをたどることにした。当時の指宿枕崎線を走っていたSLはC12。スケジュールでは、C12の貨物列車1本を坂之上駅の近くで、貨物列車2本を指宿駅と山川駅の間で撮影することになっていた。
出だしでつまずく。C12の貨物列車が見つからないのだ。スケジュールのコースを順にたどり、写真をひとつひとつチェックする。該当する位置にはC56の写真が収まっていた。
貨物をしたがえて駅に停まっている。プラットホームに置かれた鉢植えに目がいった。南国風の植物だった。1枚の写真には駅名標らしきものが写っていた。ひらがなで「いぶすき」と書いてある。
C12ではなくC56だった。それでも、指宿で撮影した写真であることは間違いない。52年前、14歳のときに自分は指宿に来ていた。その事実がわかっただけで嬉しくなった。
C5691。自分が見たC56のなかで一番きれいな機関車だった
C56が停車しているのが指宿駅なので、それに続く2枚は指宿駅と山川駅の間で撮影した写真だろう。
ネットで調べるうちに、C12がC56に化けた理由がつかめてきた。このC5691の配属は吉松機関区だが、1972年10月24日に指宿枕崎線でお召列車を牽引するために鹿児島機関区に貸し出されていた(お召列車はC5691+C5692の重連で運転)。
指宿でC5691を撮影したのはお召列車運転の約2カ月後。吉松機関区には返却されずに指宿枕崎線でそのまま使われていたのだろう。その指宿枕崎線でのSL運転は1973年の3月末に終了し、C5691は同年8月に廃車の憂き目をみることになる。
C56の件はすっきりした。それでも、もうひとつ解けない謎があった。それは次の2枚の写真。
上の写真は135mmの望遠レンズ、下の写真は標準レンズ。2台のカメラで同じ場所から撮影した。当日のスケジュールによると、場所は指宿枕崎線の坂之上駅付近。
坂之上駅のすぐ横を車で通ったことがある。民家が建ち並ぶ市街地だった。アップダウンはあるにせよ、ここに載せた山深い写真のイメージとはかけ離れている。
最初はありえないと思った。でも、撮影してから52年経っている。Googleマップで確かめてみた。ストリートビューは線路には使えない。結局、よくわからなかった。
ここで、意外な助っ人が現れた。YouTubeの動画だ。指宿枕崎線「快速なのはな」の前面展望を山川駅から鹿児島中央駅までノーカットで見せてくれる。坂之上駅から慈眼寺駅へ向かう列車の前方に目を凝らした。
50年経っても変わらないランドマークは何だろう。それは、山の稜線を描くラインかもしれない。YouTube動画とモノクロ写真は半世紀のときを超えて同じラインを描いていた。





